飯塚高史選手と天山広吉選手の「確執」は、実は新日本プロレス史でもかなりドラマ性の強い因縁です。
一言でいうと、
「親友として組んだ飯塚が、突然天山を裏切り、約11年後まで因縁が続いた」
というものです。
すべての始まりは2008年
当時、天山選手はヒールユニット「G・B・H」から追放され、孤立していました。
そこへ飯塚選手が救出に入り、天山を助けます。
最初は天山も飯塚を信用していませんでしたが、飯塚が身を挺して天山を守る姿を見せ、2人はタッグを結成。
これが「友情タッグ」です。
2人は試合中、相手の反則攻撃から互いを守るなど、本当に仲の良いコンビとして描かれていました。
そして「友情タッグTシャツ」まで発売されるほどの人気に。
ところが――。
2008年4月27日、すべてが変わる
2人は真壁刀義&矢野通が持つIWGPタッグ王座に挑戦します。
ところが試合中、飯塚が突然天山を裏切ります。
天山のタッチを拒否し、背後から飯塚の代名詞だった「魔性のスリーパー」を天山に炸裂。
さらにG・B・H側につきました。
つまり、
「自分を救ってくれた親友だと思っていた男が、タイトル戦の真っ最中に突然自分を裏切った」
という構図です。
ここから2人の抗争が始まります。
そして飯塚は「狂乱の飯塚」へ
この裏切りを境に飯塚選手は、それまでの実力派・技巧派レスラーから一変。
スキンヘッドになり、長いヒゲを生やし、チェーンや鉄製の凶器「アイアン・フィンガー・フロム・ヘル」を振り回す、あの狂乱の飯塚高史へと変貌します。
天山との抗争もどんどんエスカレート。
チェーンデスマッチなど、通常のプロレスとはかけ離れた試合まで行われました。2008年10月には、2人がチェーンデスマッチで激突し、飯塚がレフェリーストップ勝ちしています。
ところが2019年、まさかの展開
飯塚選手が引退することになります。
ここで天山が、
「もう一度、友情タッグを復活させよう」
と飯塚に呼びかけます。
天山は飯塚を「昔の飯塚に戻したい」と考えていたわけです。
しかし飯塚は拒絶。
札幌大会では天山に襲い掛かり、椅子攻撃。さらにアイアン・フィンガーまで見舞いました。
大阪大会では、天山がなんと11年前の友情タッグTシャツを着てリングに登場。
「これを見ても昔を思い出さないのか」というような形で、最後まで飯塚に戻ってきてほしいと訴えました。
しかし飯塚は天山を椅子で攻撃。
天山はついに、
「友情タッグなんかクソ食らえ」
と怒り、飯塚の引退試合で決着をつけることを決意します。
そして引退試合
2019年2月21日。
飯塚高史の引退試合は、
天山広吉・オカダ・カズチカ・矢野通
VS
飯塚高史・鈴木みのる・タイチ
というカードになりました。
試合中、天山は最後まで飯塚を説得。
そして最後は、友情タッグTシャツを飯塚にかぶせた状態で天山がムーンサルトプレス。
飯塚は敗れます。
ところが、その後も飯塚らしい狂乱ぶりを見せ、完全に「昔の飯塚」に戻ったわけではありませんでした。
この2人の関係が面白いところ
普通のプロレスの「因縁」なら、
裏切る → 憎む → 倒す → 決着
で終わります。
でも天山と飯塚の場合は違うんですよね。
天山は11年間、飯塚を「本当は昔の飯塚に戻れるんじゃないか」という目で見ていた。
だから2019年の引退直前にも、天山は飯塚を倒すだけではなく、「もう一度、友情タッグに戻ろう」と手を差し伸べた。
日刊スポーツも、天山が「何度手を差し伸べても、それをつかもうとしない元相棒」に愛想を尽かした、と報じています。
つまりこの確執、単純な「裏切られたから憎い」じゃなくて、
「親友に裏切られた天山が、11年経ってもその親友を完全には見捨てられなかった」
というところが一番切ないんです。
そして最後の引退試合で天山が涙を見せたことも含め、新日本プロレスの中でもかなり“昭和プロレス的”な友情と裏切りの物語として語られています。
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